☂ 傘の歴史 

傘の歴史


  最近ここ(かしこ)で雨が降り続いているので、私は雨傘に思いを寄せた。私が最近調べたところでは、ビクトリア調の絵画は、日傘(パラソル)で満ち溢れている。雨傘あるいは日傘は、雨や日光から守るために設計された天蓋である。(1)「日傘」とは通常、太陽から人を守るために発明された物とされている。「雨傘」は、雨から人をより良く守る道具とされている。(2)普通、両者の違いは使用された材料であり、「日傘」は全て撥水性をもっているとは限らない。(3)ある種の「日傘」と「雨傘」は、しばしば庭の備品と共に、あるいは浜辺で使用される点では同じである。(4)「雨傘」も「日傘」も、必ず手に持って運べる道具である。(5)「雨傘」も「日傘」もただ単に、ファッションアクセサリーという用途もあり、太陽や雨から身を守ることに使われないこともある。(6)「日傘」のパラソル(parasol)のパラ(para)は止めるまたは遮蔽する、ソル(sol)は太陽を意味する。(7)「雨傘」アンブレーラ(umbrella)はラテン語のumbella(umbelという、てっぺんが平らな花)か、あるいはumbra日陰になった、に由来する。(8)


(8) 5640-004-CDE71024

  古代アッシリア時代のチグリス川の東岸に位置した都市ニネベ(Nineveh)の初期の彫刻には、「日傘」がしばしば登場する。(9)


(9.1) umbrella-ashurb-lg


(9.2) AssyrianKing01 the Assyrians


(9.3) Assyrian kings during the Neo-Assyrian period (ca. 912-609 BCE), tumblr_mm3z8djQ0j1ql5d2uo1_500


(9.4) Tiglath-Pileser III


(9.5) King Jehu of Israel bowing at the feet of Shalmaneser of Assyria


(9.6) The Assyrian King Sargon II, with an attendant holding a parasol to shield him from the sun.

  ペルシャでは、「日傘」が、アケメネス朝(紀元前550年 - 紀元前330年)の儀式的首都ペルセポリスの彫刻物に幾度となく見受けられる。(10)ペルシャのある彫刻では、お付きの者が国王の頭上に雨傘を掲げている構図が見受けられる。(11)


(11.1) Relief_on_the_doorway_of_the_palace_in_Persepolis-Persian


(11.2) umbrella-xerxes-lg


(11.3) Satrap receiving an embassy of Greeks. Umbrella is symbol of royality

  少なくとも12世紀と推定されるペルシャのTakht-i-Bostanの岩に刻まれた他の彫刻では、鹿狩の情景が彫られていて、そこでは馬に乗った国王と思しき人物の頭上に、従者が「雨傘」をかざしている。(12)


(12) umbrella-taqebostan-lg

  古代エジプトでは、「日傘」はヤシの葉や長い取っ手に固定されたカラフルな羽毛のような鞭毛(べんもう)として描かれていて、これらは幾つかのビクトリア調の絵画にも表現されている。(13)


(13.1) votd-sunshade


(13.2) Sunshade from the tomb of Tutankhamun

  他のエジプトの彫刻では、エジプトの王女が上エジプトを旅行している場面で、乗っている馬車の中央に直立した柱にヤシの葉から成る「日傘」が取り付けられている。(14)


(14) A Nubian Princess in her ox-chariot, from the Egyptian tomb of Huy, 1320 BC.

  「雨傘」は、目立つ外観にするという意味は一部あるけれど、装飾よりむしろ実用物としてエジプト中で使われていた。(15)エジプトの寺院の壁に描かれた絵には、行列の中の神の頭上に「日傘」が掲げられている。 (16)

  紀元前5世紀のギリシャでは、「雨傘」(skiadeion)は、ファッショナブルな女性には必要欠かせざる付属品であった。(17)


(17.1)

(17.2) Greece_ii_plate11


  古代アテネの喜劇詩人として名声を博したアリストファネス(紀元前446-386年)は、開いたり閉じたりできる物を女性が良く使用すると評していた。 (18)


(18) skiadeion Woman with a "skiadeion" an umbrella

  Geographer Pausanias (紀元前 470年)は、アカイアのトリテイア(Triteia in Achaia)の墓は、Nikiasに由来する紀元前4世紀の絵画で装飾されていた。そこでは、プルタルコス(Plutarch古代ギリシャの哲学者・伝記学者)の奴隷の恐怖(紀元前413年)に登場する「日傘」を差している女性奴隷が描かれている。(19)



(19) Limestone sarcophagus the Amathus sarcophagus, Sarcophagus, Amathus, 2nd quarter of the 5th century B.C. Archaic

  「傘」の使用は女性に集中していた。男性による使用は、男らしくないと考えられたからである。アリストファネスのギリシャ喜劇「鳥」(紀元前415年)では、傘を使用するプロメテウスをコミカルに風刺した。(20)「傘」にはまた宗教的な重要性もあった。古代アテネでは毎月12日にScirophoriaというお祭りを催していた。その祭りでは、アクロポリスからファレルスまで(Acropolis to the Phalerus)女神達に仕える女性司祭達により白い「日傘」が運ばれた。(21)

  酒の神、ディオニソスの祭りでは、「雨傘」が使われた、そして浅浮き彫りでは、その同じ神が、小さな「雨傘」を手に地獄に堕ちる場面が描かれている。ディオニソスは、儀式的狂気、歓喜に満ちた崇拝、恍惚、謝肉祭、祝典を鼓舞したし、ギリシャ神話の主要な神ではある。(22)


(22) Neptune & Amymone. Cupid inbetween with a rectangular paraso

  古代アテネのパルテノン神殿の祭礼としてのパナティア祭(Panathenea)では、下位の部族の印として代金を払って住んでいた外国人の娘達や外国人の居住者達が、アテネの女性達の頭上に「日傘」を掲げている。古代ローマでは、女性達がもっぱら熱から遮蔽するために、高さも上げ下げ自在のなめし皮や革製から成る(Umbraculum)と呼ぶ方法を用いて、「雨傘」を使用していた。古代ローマの古典のなかには、「雨傘」を記述した多数の参照が存在し、メイド(女中)にとって女主人の頭上に「雨傘」を差すことは名誉でもあった。(23)Ovid, Martial, & Juvenalなど古代ローマの詩にもたびたび「日傘」が登場する。(24)ローマ時代の「雨傘」は、雨から身を守るように使われたようには思えない。(25)「雨傘」は、しばしば古代エトルリアの陶器、後には宝石やルビーに描かれている。(26)


(26.1) Etruscan lady Ramtha Vishnai with another woman under a parasol, Sarcophagus of Arnth Tetnies and Ramtha Vishnai


(26.2) Dido, Queen of Carthage c. 356 to 260 BC

  紀元前210年の秦始皇(秦の始皇帝)の墓の中国の兵馬俑のなかには、「雨傘」が二[四]頭立ての馬車の側面にしっかり取り付けられている。(27)


(27) A Terracotta Army carriage with an umbrella securely fixed to the side, from Qin Shihuang's tomb, c. 210 BCE.


(27.1)


(27.2) The Bronze Male Figurine Holding an Umbrella

  王莽(おうもう)(新朝の皇帝、紀元前45年-紀元23年)が儀礼的四輪馬車を設計した時(紀元21年)、中国の文献には折りたためる傘が言及されている。中国語の傘という象形文字は、現代の傘のデザインに良く似ている。(28)寺院のそばでしばしば見かけられる中国や日本の伝統的な「日傘」は、古代中国の当初のデザインに良く似ている。(29)宋王朝(960-1279年)後期の1270年の易断(占い)書には、今日の中国でも見られる折り畳むことができる「雨傘」が描かれている。(30)

  インドでは、サンスクリットの叙事詩マハーバーラタ(およそ4世紀)では以下のような伝説に触れている:
Jamadagniは弓矢の名手だった、そして献身的な彼の妻Renukaは、常に彼の放った矢を直ちに取り戻してきた。ところがある時、矢を取り戻すのに1日もかかった、彼女は遅れた理由は太陽の熱のせいにした。怒ったJamadagniは太陽に向かって矢を放った。太陽は憐れんでRenukaに「日傘」を授けた。(31)


(31) 457px-Ajanta_Paintings, Women holding Umbrella Gupta Empire CE 320


(31.1)(31.2) Ganga and Yamuna, Gupta period, 5th Century AD

  17世紀のインドのAvaでは、「日傘」は国王の権威の一部であった、彼は白象の王で24の「日傘」の領主であった。(32)


(32) royal-indian-cort

  1855年、ビルマの国王は、Thunaparanta国, Tampadipa国そして「日傘」を身に着けている複数の東国の首領達の上に君臨した偉大な、輝ける、最も優れた王者と呼ばれた。(33)


(33.1) Bas-Relief-Angkor-Wat-Temple-2069734, Carved in twelfth century


(33.2) Suryavarman II, son of Ksitindradity and Narendralakshmi, Khmer king


(33.3) Suryavarman II, the builder of Angkor Wat, img169

  1687年のシャム(タイ)の勘定書によれば、「雨傘」の使用は、国王の従者の一部のみに許されていた。同じ柄の部分に2から3個の円錐が留められている「雨傘」は、国王のみ使用できた。貴族は、色彩を施された布を「雨傘」から垂らした物を持ち歩いた。(34)


(34.1) The Buddha is seated in bhumisparsamudra, sheltered by a three-tiered parasol as befits a prince.


(34.2) Thailand's King Bhumibol Adulyadej. The nine-tiered parasol in background is a symbol of the Chakri Dynasty


(34) Queen-Maya Queen Maya on a horse carriage accompanied by royal courtiers, Borobudur

  アステカ帝国の首都テノチティトラン(Tenochtitlan)地方のAtzacoalcoでは、pantliあるいは旗として、羽毛と金から成る「雨傘」が使用された。その「雨傘」は、軍隊の将軍により運ばれた。(35)


(35) herman-cortes-montezuma

  欧州では中世の期間中ずっと「雨傘」が恐らく通常使用されていたと言及されたことはなかった。欧州人は明らかに嵐に対しては、「雨傘」より外套(がいとう)に依存していた。(36)フランスや英国で「日傘」が一般に使用されるようになったのは、たぶん中国から持ち込まれた17世紀半ばの頃であった。その当時に「雨傘」の記述が頻繁に現れるようになった。(37)


(37) 729PX-1 A painting of Chancellor Pierre Seguier with a parasol hoisted above his head, by Charles Le Brun, 1670

  1664年6月22日のJohn Evelynの日記では、日本と中国のイエズス会からフランスに送られた珍奇な物を、ローマ・カトリックの僧侶のトンプソンに見せられたとある。その珍奇な物のなかには、今日の女性が使用するような扇子(又はうちわ)、しかしもっと大きな、長い柄がついた、奇妙な彫刻を施された、そして漢字で埋め尽くされた物で、これは明らかに「日傘」の記述を意味するものであった。(38)John Florioの「言葉の世界」(1598)では、イタリア語のOmbrellaは、扇子(又はうちわ)、天蓋と翻訳されていて、王子にはベッドを覆う天蓋の布地から成り、円形の扇子(又はうちわ)が真夏のイタリアを乗馬(馬車)で旅行するのに僅かながらも日陰を作ったと思われる。(39)Randle Cotgraveの仏語・英語辞書(1614年)では、仏語のOmbrelleは英語ではumbrelloと翻訳された。 それは円形の幅広の扇子(又はうちわ)で、その物でインド人は(そして我が人々も)焼き付ける日差しから身を守った、それゆえ、女性達は例え小さくても太陽から顔を隠すため扇子(又はうちわ)を使った。(40)」Kerseyの辞書(1708)では、「雨傘」のことを、雨から避けるために女性が用いる遮蔽物と表現している。(41)
  Daniel Defoeの (1661-1731) Robinson Crusoeでは、彼自身がブラジルで使用したことのある彼の傘を作り上げた。私は、毛を外側にした革で覆うことで、まるでpent-houseのように雨が落ち、かつ太陽にも有効である。こうすることで、これまで涼しかった時に比べても、どんなに暑い時期でもはるかに快適に外を歩ける。(42)


(42)

  探検家のジェームス・クック船長(1728-1779)は、航海のなかで、南太平洋の原住民のうちには、ヤシの葉から作った「日傘」を持ったものがいる、と記述している。(43)John Florioの "A World of Words" (1598)では、イタリア語のOmbrellaは、扇子(又はうちわ)、天蓋と翻訳されている。王子様には天蓋か布であって、丸い(円形の)扇子(又はうちわ)か、暑い夏に乗馬する時に少しでも日陰を作る物である。17世紀は、王室のみならず、「日傘」が全ての人々に受け入れられた黎明期であった。この時期に、「雨傘」も全ての階級の人々に爆発的に広がった。(44)


(44.1) 源氏物語絵巻 蓬生 (原画)


(44.2) 源氏物語絵巻 蓬生 (復元)


(44.3) 天正4少年使節 ローマ法王訪問 1620年代(ヴァチカン宮殿壁画)


(44.4) Japan Art Namban Black Servant1


(44.5) 長崎港開港400年を記念して、ローマのイエズス会から贈られたものです。直径は127cm 竹の骨組みに絹布が貼られ、その上から漆が丹念に塗られ、金泥による装飾が施されています。(傘表側)


(44.6) 同上(傘裏側)


(44.7) Umbrella-african-lg, this engraving dated 1820 is titled English Embassy in Komassi, West Africa



E N D




原著: UMBRELLAS AND THEIR HISTORY By William Sangster
CHAPTER II THE ANCIENT HISTORY OF THE UMBRELLA


http://www.gutenberg.org/files/6674/6674-h/6674-h.htm
http://www.fudanbook.info/B2012/x/html/s/Sangster,William/Umbrellas%20and%20Their%20History/text/chapter02.htm

Partially Translated and Photos added by A. KUBOTA

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